パートナービザ(永住権)を得てから4ヶ月。長らく待ち焦がれたともいえる永住権ですが、永住権を取って人生が変わったのか!?について、考えたことをつれづれ書いてみました。
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オーストラリアの永住権といっても様々な種類があるようです。筆者はそこまで熟知しているわけではありませんから、どういう永住権があるのかについて間違った情報をばらまきたくはないのでここでは言及しませんが、永住権を得る道のりは仕事関係だったり、家族関係だったり。筆者の場合は配偶者のビザです。結婚して申し込むやつですね。他の記事でも書きましたが二年半を経て永住権を得ました。パートナービザはProvisionalからの永住権という感じになります。
永住権……文字通り永住する権利を得たわけですが、永住権を得るとセンターリンク(日本語でなんだろう、、、市の窓口みたなところ)で申し込めば必要に応じて給付金が貰えたり、今まで受けられなかったTAFEのコースで勉強できるようになったり、ローンが組みやすくなったり、大学の学費が安くなったり、仕事探しで有利になったり……などなどがあるということで、待ち遠しく思っていました。
実際に去年はTAFEのコースに申し込んだところ、「永住権がないから」という理由で断れてしまいました。Provisional Visaを得た時に「オーストラリアで勉強する権利を得る」とあったのでてっきり学べるものと思っていたのですが、留学生と同等ということだったようでした。
そんなこともあって、待ち遠しくしていた永住権。メールで取得のお知らせが来た時は急だったこともあって、うれしさを通り越して実感が湧きませんでした。「え、ホント?」みたいな(笑)一週間くらいなんかの間違えだと思っていました。
というのも、ビザを申し込んだ時に70万円を払い、「二年後に永住権の可否を決める」との文言があったものの、二年経っても音沙汰なし。保守連合政権の移民政策のおかげで審査期間がどんどん延びていたので、3~4年かかるという話も聞こえてきました。現に筆者の友達(バングラデシュ人)も2年以上音沙汰なしということでした。
そんなこともあって、待ちくたびれて長期戦を覚悟。頭にあたためていたプランAからDくらいまで試すことに(笑)
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怪我の功名だったのは日本でやっていた仕事が意外なことにもオンラインで継続できたことでした。ある意味で人気商売なので移住時のシナリオとしてなくなることも覚悟していたのですが、ご依頼をくださる方がいてありがたいところです。感謝。
さて、永住権を得て早4ヶ月が経ちます。では、永住権を得て劇的に色んなことが変わったかというとそうでもないところと、覚悟を新たにしたところとあります。
もちろん、目に見える変化は大きくはないといえます。家は今のところ買う予定はないのと、センターリンクのお世話になることもなくといった感じです。
でも、ちょっとおおげさに聞こえるかもしれませんが、以前にも増して社会の一員となった感は増えました。オーストラリアのニュースを以前にも増して注意して読むようになりました。オーストラリアにとどまるのがより現実的になってきたからなのかもしれません。ちょっとした心境の変化です。
変化といえば以前、気になって永住権がもらえたら行こうと思っていたTAFEのコースへ申込みに行きました。説明会を聞いて、申込みもしたのですが引っかかる気持ちが。一年が経ち、そのコースが本当に今やるべきなのか気持ちも含めて状況の変化がありました。上記の日本から引き続きの仕事もふくめて、こちらの家族とはじめたビジネスははじめたばかり。以前とは違ったアプローチでやりたいという気持ちが強くなっていました。また、そのコースの前に学びたいことも出てきました。結局、TAFEのコースは今は行かないことに。でも、コースの内容について学びたい気持ちはあるので近い将来、違った形で学びたいと考えています。
永住権取得が何かをもたらしてくれるということは具体的な形ではなかったのかもしれませんが、心境の変化ということでは小さくない変化があったと思います。目標を新たにできたこと、よりチャンスを得られたという気持ちです。
ぶちゃけ、永住権を「単に法律上のステータス」と捉えるかそれ以上の意味を得るのかはその人次第だと思います。筆者にとっては永住権を得たことでより可能性を得て、だからこそ振り返ったり思索したりしながら、プランをアップデートしているといったところでしょうか。
読んでくださりありがとうございました。
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